あらすじ
嵐の夜。避難するように一軒のモーテルに集まった10人の男女。彼らと管理人ラリーは一晩身動きのとれない状況に陥る。同じ頃、死刑囚マルコム・リバースの再審理が行われようとしていた。彼には解離性同一性障害があったのだ。

モーテルでは最初の殺人が起きる。犯人は10人以外にはありえない。元刑事のエドは犯人を捜しだそうとするが、見つからないまま殺人はなおも続く。そんな中、エドの意識は突然モーテルから再審理の現場へ飛ぶ。

そこでマリック医師から、自分はマルコム・リバースの人格の一人であること、別の人格の誰かが殺人者であることを告げられる。マリック医師は真犯人の人格を突きとめるために全人格を一か所に引き合わせていたのだ。

意識がモーテルへ戻ったエドは真犯人探しを始めるのだが・・・

総合評価 

評価:★★★★★
印象:怖い・興奮・楽しい

一か所に集まった人間たちが一人ずつ殺されていくという、クローズド・サークル系の映画にはありがちな使い古された設定ではある。

にもかかわらず最後まで引き込まれるのは、巧みな脚本と、「多重人格者の中の殺人者の人格をあぶりだすこと」「その人格を生き残らせないこと」というスパイスがあるからだ。

モーテルでの惨劇を多重人格者の心理世界の出来事とするために、その舞台を「嵐で外部と遮断され、孤立化したモーテル」に設定したアイディアは秀逸。

アイデンティティーのここが良かった

殺人事件で死刑が確定した人間に解離性同一性障害があった場合、犯人に殺害を実行させた真犯人ははたしてどの人格なのか。最初、このテーマにまず引きつけられた。

映画では、それを突きとめようとする医師と死刑囚とのやりとりと、同時刻に別の場所で発生する新たな殺人事件が同時進行する。この二つの場面を交互に描く手法が、緊迫感を高めるのに一役買っている。

観ている人は死刑囚と新たな殺人事件の関係性に騙されることになるのだけれど、どこまで騙されるかはその人が伏線にどれだけ気づくかにかかっている。

言い換えれば、両方のつながりをどこまで読み解けるか。映画の途中で真犯人がわかる人はまずいないだろう。一見無関係に見えるこれらの物語に実は真相が隠されていて、ラストで見事に一本の線につながる。斬新な着眼点がとてもおもしろかった。

ほぼ全編にわたり雨や雷の陰鬱な映像が続くが、それも効果的で、よりいっそう緊迫感を高める。個性派ぞろいの俳優陣の演技も見応えがあった。

真犯人の人格が明らかになった時、全編の至るところに散りばめられていたヒントに、なるほどとうなずいてしまう極上のサスペンス。何度も観て、見逃した伏線を探したくなる作品だ。

印象に残ったセリフ・シーン

「階段を上がると、また会った。姿のない人に。もう現れてほしくないのに」。解離性同一性障害をもつ死刑囚・マルコム・リバースの日記の一文として紹介されるセリフだ。

このセリフだけで、この映画がおそらくサイコ・サスペンス系であるばかりか、一筋縄ではいかないストーリーであることも、ある程度想像できてしまう。

張りめぐらされた伏線を見逃さないように気をつけて観ていたのに、最初に観た時は見事に騙されてしまった。

モーテルの殺人事件は現実の世界での出来事ではなく、多重人格者の心理世界で起きた殺人事件であるという設定は、当初は少し荒唐無稽な印象を受けた。反則のような気もした。

しかしこの設定はとても巧みな設定で、「殺人者の人格を突きとめるため」、そして「その人格を消滅させるため」という納得できるルールに終始貫かれている。説得力があるのだ。

もうひとつ印象に残ったセリフは、エドが死ぬ間際にパリスに言った、「オレンジ畑にいる君が見えたよ」。モーテルで出会い、惹かれ合った娼婦のパリスには、田舎に帰って果樹園をもつ夢があった。

自分たちがマルコムの人格であることを知っているのはエドだけという状況も相まって、切ないシーンだった。

こんな人にオススメ

サスペンス映画が好きな人にはもちろんおすすめの作品。また、真犯人との心理戦が描かれる推理系の映画や、心霊や超能力などのオカルト的要素を含まないサイコ・ホラー系の映画が好きな人にも観てほしいと思う。

具体的な映画を挙げると、『羊たちの沈黙』、『サイコ』、『セブン』など。

そして、この映画の中で登場人物のセリフにあった、全員の共通点が判明するきっかけとなったアガサ・クリスティー原作の『そして誰もいなくなった』とは同じシチュエーションなので、ぜひおすすめしたい。